小林麻央さん・私に「愛している」といって旅立ちました・・・市川海老蔵さん涙の会見

乳がんで闘病中だった小林麻央さん。最期は、あごに癌が転移 6月22日夜容体が急変しご逝去された。

乳がん闘病中だったフリーアナウンサー小林麻央さんが22日夜、都内の自宅で死去した。34歳だった。

出典日刊スポーツ

 

最後は在宅療養を選び、家で家族に見守られながら他界

最後に投稿されたお母様が絞ってくれたオレンジジュースを飲んだ時のブログ

 

「ここ数日、絞ったオレンジジュースを毎朝飲んでいます」とつづった。

 「正確には、自分では絞る力がないので、
母が起きてきて、絞ってくれるのを心待ちにしています」

「今、口内炎の痛さより、オレンジの甘酸っぱさが
勝る最高な美味しさ!朝から笑顔になれます」と喜びをコメント。

自身の笑顔とさわやかなオレンジジュースの写真とともに

「皆様にも、今日笑顔になれることがありますように」と
読者に呼びかけた。

真央さんの歴史をたどってみます。

●中学時代の初恋

「初恋は中学2年の時でした。同じクラスの男の子で、サッカーが上手で、格好良かったんです。すっごく心臓が痛くなるほど好きでした。片思いでした。それで、あまりに心臓が痛くて、学校を早退して病院に行きました。

出典日刊スポーツ

 

前の授業が体育でもないのに、次の数学の時間に脈拍が120もあり、絶対に病気だと深刻だったんです。でも、検査の結果は何ともなくて、先生が『(原因は)思春期です』と一言。すっごく恥ずかしくて…」

出典日刊スポーツ

 

小林麻耶さんの妹という事で、さんまの恋のから騒ぎでデビュー前列に座っていた。

●キャスターに抜擢される。

 
 

実はキャスター抜擢は、先輩の女性アナウンサーが恋のから騒ぎに出ていた小林麻央をみて、こんな子がうちの局にいてくれたらいいなと上司に入れられるように猛プッシュして小林麻央はキャスターに突然抜擢。姉の摩耶は妹が恋のから騒ぎから、キャスターに選ばれないのではと心配していたので選ばれた時は泣いて喜んだ。妹の事が好きでたまらないと姉の摩耶さんは昔から妹思いであった。

「私の中では、キャスターというと、すごく知識と経験を積んでからの職業と思っていました。私がキャスターの席に座っていいのかな。知識も経験もない。無理です、怖い。最初はそう思いました。番組が始まる前、スタッフから、若い世代とニュースの距離を縮める新しい番組にしたいと背中を押されたんです。そこで、未熟な私だからこそ携われる番組があるんだと思ったんです」

出典日刊スポーツ

 

「自分から胸を張ってキャスター小林麻央とは言えません。でも、ZEROの席に座っている私は、キャスターとして欠けていることがあっても私のすべてを出して座っています。自信があっても無くとも続けます」

出典日刊スポーツ

 

●理想の家庭

「ダンナさまと私が手をつなぎ、それぞれが子供たちと手をつないで歩くようなのがいい。それで、子供たちから『パパとママって仲がいいよね』と言われたいんです。子供は女の子2人。うちがそうだから、男の子はどうもイメージがわかなくて」

出典日刊スポーツ

 

結婚前に語られていた言葉です。でも、男の子産みましたね。^^

麻央さんは06年10月の番組立ち上げ時から10年3月まで出演。08年12月に番組内のインタビューで海老蔵と出会い、10年3月に結婚した。

NEWSZEROで海老蔵さんのインタビューで初めて出会います。

 

海老蔵さんは、階段を上がっていって真央さんの顔が見えた瞬間、この人と結婚すると思ったそうです。
つまり運命の人だと惹きつけられたようです。

真央さんは、運命の人だとは思わず、思ったよりも爽やかな人なんだなが第一印象だったようです。

そして2人は結婚します。

 

海老蔵が、この人と結婚したい!!と思ったから結婚したと。
凄い美人で清純で心が綺麗でと出来すぎる奥さんを海老蔵は射止めた。

闘病を支えた海老蔵さん、真央が病気を忘れさせるように私は笑わせる役と言っていた。

 

真央さんは、私は主人の笑い声が好きなんですといってたので
この笑顔が真央さん好きだったんだろうな。

訃報を受け、生前麻央さんが出演した日本テレビ系ニュース番組『NEWS ZERO』の23日放送回では、麻央さんが座っていた座席が空席となり、追悼の花が置かれた。

出典NEWSZERO

 

番組冒頭、キャスターを務める村尾信尚氏(61)が「我々とともにニュースを伝えた小林麻央さんがその生涯を閉じました。34歳、あまりにも早い旅立ちでした」と麻央さんの訃報を伝えた。

スタジオにカメラが切り替わると、村尾氏が空席となっている右隣を見つめながら「隣にいた麻央さん」と言葉を絞り出す。「柔らかい物腰の中に芯の強さを感じさせる人でした」と人柄をしのび、「人は何年生きられるかは自分では決められませんが、いかに生きられるかは決められます。

麻央さんは自分の命を家族のため、多くの人たちのために使い切りました。麻央さんよく頑張りました」と追悼。番組の最後には「麻央さんとニュースを伝えたこと、私は誇りに思います」と語りエンディングを迎えた。

死去したことが報じられた23日午後に、村尾氏は同局を通じてコメントを発表。「天の非情を感じます。市川海老蔵さんをはじめ、ご家族のことを思うと言葉がありません」と悲しみ、「麻央さん、よく頑張りましたね。若い世代で日本を変えようと、一緒にニュースを伝えたこと、私は誇りに思います」と共演時の思い出に触れ、天国の麻央さんをねぎらった。