小林麻央さん・私に「愛している」といって旅立ちました・・・市川海老蔵さん涙の会見
真央さんの歴史をたどってみます。
●中学時代の初恋
「初恋は中学2年の時でした。同じクラスの男の子で、サッカーが上手で、格好良かったんです。すっごく心臓が痛くなるほど好きでした。片思いでした。それで、あまりに心臓が痛くて、学校を早退して病院に行きました。
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前の授業が体育でもないのに、次の数学の時間に脈拍が120もあり、絶対に病気だと深刻だったんです。でも、検査の結果は何ともなくて、先生が『(原因は)思春期です』と一言。すっごく恥ずかしくて…」
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●キャスターに抜擢される。
「私の中では、キャスターというと、すごく知識と経験を積んでからの職業と思っていました。私がキャスターの席に座っていいのかな。知識も経験もない。無理です、怖い。最初はそう思いました。番組が始まる前、スタッフから、若い世代とニュースの距離を縮める新しい番組にしたいと背中を押されたんです。そこで、未熟な私だからこそ携われる番組があるんだと思ったんです」
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「自分から胸を張ってキャスター小林麻央とは言えません。でも、ZEROの席に座っている私は、キャスターとして欠けていることがあっても私のすべてを出して座っています。自信があっても無くとも続けます」
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●理想の家庭
「ダンナさまと私が手をつなぎ、それぞれが子供たちと手をつないで歩くようなのがいい。それで、子供たちから『パパとママって仲がいいよね』と言われたいんです。子供は女の子2人。うちがそうだから、男の子はどうもイメージがわかなくて」
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結婚前に語られていた言葉です。でも、男の子産みましたね。^^
麻央さんは06年10月の番組立ち上げ時から10年3月まで出演。08年12月に番組内のインタビューで海老蔵と出会い、10年3月に結婚した。
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スタジオにカメラが切り替わると、村尾氏が空席となっている右隣を見つめながら「隣にいた麻央さん」と言葉を絞り出す。「柔らかい物腰の中に芯の強さを感じさせる人でした」と人柄をしのび、「人は何年生きられるかは自分では決められませんが、いかに生きられるかは決められます。
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麻央さんは自分の命を家族のため、多くの人たちのために使い切りました。麻央さんよく頑張りました」と追悼。番組の最後には「麻央さんとニュースを伝えたこと、私は誇りに思います」と語りエンディングを迎えた。
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死去したことが報じられた23日午後に、村尾氏は同局を通じてコメントを発表。「天の非情を感じます。市川海老蔵さんをはじめ、ご家族のことを思うと言葉がありません」と悲しみ、「麻央さん、よく頑張りましたね。若い世代で日本を変えようと、一緒にニュースを伝えたこと、私は誇りに思います」と共演時の思い出に触れ、天国の麻央さんをねぎらった。
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